梅津ゆい(うめつ ゆい)と申します
WEB・グラフィックデザイナー / 棒人間イラストレーター /ミュージシャン(歌と作詞) / 妻であり1児の母
プロフィール
好きなコト・モノ
特性
・人と話すことや、自分の思ったことを記録することが好き
・通りすがりの人について何かを考えている癖がある、気になったら話しかけたいと思っているし、時間があれば話しかける(その場での質問かもしれないし、友達になってほしいと頼むこともある)
食べ物
・揚げ物やペペロンチーノが大好きで、疲れてくると食に走りがち
・和菓子なら「すあま」や「わらび餅」
・洋菓子なら「ベイクドレアチーズケーキ」「シフォンケーキ」
憧れ
・メリーポピンズのような楽しそうな雰囲気に憧れる
・赤毛のアンのような友達がほしい
・長靴下のピッピのような何事にも恐れない冒険心がほしい
最近
・「なかやまきんにくん」のYoutube、彼の「間」の空気感は癒しだ
・WEBアプリの漫画が好きで「コミコ」「ピッコマ」「めちゃコミック」など読むけれど、「ピッコマ」のアプリのページ送りの動作がスムーズで最近気に入っていて、漫画の内容より、その動作にときめいている気がする
好きで続けている活動
・WEBサイト・グラフィック制作
・北千住にて月1回のゴミ拾い(リーダー)
・音楽に関しては、ウクレレ練習中
年表(ストーリー仕立て)
梅津ゆい。栃木県出身で、現在は東京・下町在住。
▶︎1986年、商売を営む家庭に生まれる。
毎日、自宅にお客さんが自宅に来る環境だったため、
人見知りもなく、小さい頃から「人と話す」ことが好きになる。
▶︎無邪気さとは裏腹に。年長〜中学3年生の私。
毎朝、お店の玄関を掃き掃除担当だった私は、当然ながら、通りすがりの人に「ゆいちゃん、おはよう、えらいねぇ」と沢山言われるので、どうすれば大人からの評価を高めるのかを知り、息を吐く様に自然に考えて行動する子供になる(笑)
▶︎10代、栃木でアルバイトをかけもちをしまくり働きまくる。
<同時にかけもちしたバイトの内容>
①早朝の倉庫の搬入、②マクドナルド、③セブンイレブン、④小僧寿しチェーン、⑤元気寿司、⑥ラーメン屋
どこに出かけても私という店員がいるので、地元の人には「双子いる?」と言われる様に(笑)
アルバイトをたくさんするキッカケ:
中学生の頃、”文通相手の住む大阪に会いに行きたい”と父親に旅費をねだったのだが、「自分で稼いでみなさい、それで足りなかったらお父さんが出してあげる」と言われ「中学生でも雇ってくれる人」を探し歩いたことがある。「中学生じゃ雇ってもらえないよ」と思いながらも、「10人いれば10通りのやり方があるように、きっと見つかるよ、だめならお父さんが10人目になろう」と父親に言われたので、しぶしぶ10軒ほど訪ねてみたところ、10軒目で本当に見つかったのだ。「よし、アルバイトはやはり中学生でダメだからお手伝いということであればどうかな?」と提案してくれたのが当時の「旅行代理店のオーナー」だった。そこで夏休み中のポスティングのアルバイトを経験し、「卒業後もよければ何かしらのアルバイトを紹介してあげるからやってみない?」と声をかけてくれたのだ。まさかいくつもの事業をされてるとは思わなかったけど(笑)そんなこんなから好奇心の強い私は、全部やってみることになったのだった。
▶︎アルバイトをして貯めたお金・合計300万円の使い道
渋谷の音楽専門学校へ入学。ボーカル科を専攻した。
栃木からの定期交通費がなかなか高かったが、往復3時間の電車での読書がとても楽しかったのを覚えている。
結局、学校については、アルバイトのスケジュールを優先してばかりでフル活用できず。
私の貯めたお金は「あまり通わない学費」「通わないのに定期券」「心理学やサービス業を極める系の書籍代」に消えたのだった。
▶︎19歳、はじめての一人暮らし
やりたかった音楽とは?と後悔し、アルバイト漬けの環境を離れてみることに。
栃木を出て、神奈川県の生田という街に住む。(新宿まで小田急線で30分)
最初に後悔したのは”自炊ができない、料理って難しい”ってことだった。
結局、”まかない付きがいいな”ってことで、新宿のワシントンホテルのレストランと、近所のジョナサンでかけもちをはじめる(栃木を離れた意味とは・・・笑)
ちなみに、初めての住まい探しでは、不動産屋さんに契約金を一時騙し取られるなど、一悶着があった(笑)
▶︎19歳、何かを得たいのなら今日という1日の過ごし方を見直すべき
「音楽と向き合う時間」を確保した
19歳、オリジナル曲を作ってみようと1ヶ月はアルバイトをせずに家に引きこもることに。
ひとまず荒削りでも完成した100曲!をインターネットの音楽系掲示板に掲載。
バンドメンバー募集を含め、何か力を貸してくれないか?と仲間集めをはじめる。
▶︎19歳、ようやく始まった私の音楽活動
先述した音楽掲示板では、運良く、心強いプロデューサーはじめ、良きバンドメンバーに恵まれた。
曲作りにライブ活動、アルバム制作、サイトを制作したり、グッズ制作、YouTubeでのWEBラジオ制作など
定期的なライブや情報発信により、次第にファンにも恵まれて、ワンマンライブやイベントも企画。
音楽活動のことを考えない・歌わない日は1日もなかった。
音楽活動に夢中で取り組んだ経験を一言で言うなら「情熱」
このような「情熱的に取り組める何か」があったという経験は、今も自分の心を強くしてくれていると思うし、あたたかい気持ちにしてくれる。今は活動停止してしまっているけれど、大事にできて本当によかったと思う。
ちなみにこの頃も、もちろんアルバイトは続けていて、ただバンドの時間を優先するために働く時間を見直し、かけもちはやめた。
アパホテルのフロント業務を2年、病院の受付事務を4年、営業事務を1年して、これまた、どれも良き出会いがあり楽しかった。
▶︎25歳、はじめての就職・WEBサイト制作会社
バンドメンバーの相方が「突然だけど海外に行くので何年で帰ってくるかわからない」と言うことなので、バンドは無期限活動休止することに。「インターネットもあるし、ネット中心にゆっくり活動していこう」と決めた。
それまでライブ活動や曲作りのためにスタジオに入る生活を日々していた予定がなくなるのならと、
私の頭にすぐ浮かんだのは、本当はやってみたかったの「WEBサイト制作会社で働いてみたい」という道。
実は19歳の時に一度、アルバイト先として、WEBサイト制作会社に応募したことがあった。しかし、雇用先のオーナーに「この業界は残業が多いから、バンド活動がしたいのなら、おすすめしない」と言われて、それなら大事にしたいのは音楽だからと諦めた経緯があった。
無知は無敵かもしれない
でも結局は音楽活動中も、バンドのための音楽配信サイトを制作・更新する日々を送り、ロゴやフライヤーを作るなどを続けていたので、この経験で就職できたりしないかな?と考えていた。あとから、自分の当時持っていたスキルでは圧倒的に知識不足であまい考えであったことに気づくのだけど(笑)そんなことも知らない私は無敵だったなと思う。
思い立ったが吉日
バンドサイトしか作品はなかったものの、就職先に選んだ最初の会社にスムーズに就職することができた。
ただ、予想以上に覚えることが多く、そこでの試用期間であった3ヶ月は、ほぼまともに家に帰れず。それでも尊敬していた上司からの直接指導、勉強すればするほど出来ることが広がることがとても楽しく、土日も色々なサイトを研究してはインプット&アウトプットを繰り返し、試用期間を終えた。
無駄な発言は一切しないような、人生で一番厳しいと思える人物でもある先輩デザイナーから課題を出されて「よくやったじゃない、あなたのこのデザインいいと思う、これ、やってみましょうか」と、自社サイトのリニューアルのデザインをさせてもらえたときは本当に嬉しかった。
▶︎25歳、結婚し、北千住へ引っ越す
忘れてはならない夫の存在、夫はプログラム大好き人間である。
夫がいてくれたおかげで、はじめての就職でつまづくことなく過ごせたと思う。
WEBデザイナー(主にコーディング)としての足りない知識に、おすすめの書籍をプレゼントしてくれるなど、本当にお世話になった。
交際から1年?2年?、就職して半年後に結婚、住まいを北千住にすることにした。
▶︎28歳、個人事業主としての生き方
バンド時代に出会った友人Tさんに再会し、Tさんの事業のお手伝いをしているうちに、フリーランスの道を提案された。就職した会社でのキャリアももっと積んでみたいと思っていたのだけど、副業禁止であったことと、30歳も目前だったこともあり、せっかくだから挑戦してみようと個人事業開業届を出す。
はじめての仕事は、Tさんの事業の主に個人事業主向けのWEB制作サポートと、Tさんの紹介で出会った輸入食品のインターネット販売(以下、EC販売と記載)のサイト制作を並行した。
EC販売を行う会社の事務所には、平日・毎日常駐する形で、商品がさらに売れる様にと奮闘する日々を送った。
Yahoo!ショッピングやAmazon、楽天、MakeShop、カラーミー、futureshopなどを用いて、様々なサイトを作らせてもらい、お客様が増えること(売上が伸びること)がとても嬉しかった。梱包や発送業務を担うパートさんが増えていくのもとても嬉しかった。
個人事業主になったけれど、誰かと顔をあわせて仕事をするのって、やっぱり刺激的だし楽しいと思う。
ひょんなことからそこでのEC販売自体が終わってしまって悲しかったけれど、そこからのご縁や、Tさんの事業のお手伝いを現在も続けている。
紹介からの紹介してくだる方が続いていて、本当に感謝しています。ありがとうございます。
▶︎33歳、待望の子供が生まれる
結婚当初から夫とは自身の子供が生まれなかったら養子をと話していた中、ありがたいことに息子が生まれた。
毎日、本当にかわいいし、本当に大変の繰り返しである。
世の中歩いている人たち、みんな赤ちゃんだったのかと思うと、本当によく育ったなと思ってしまう(笑)
▶︎36歳(2022年9月現在)
育児と仕事に奮闘中。
息子は2歳になり保育園に通わせている。
子供との時間も増やしつつ、自身も色々なことに挑戦し続けていきたい。
今現在のお仕事 / WEB・グラフィックデザイナーについて
2015年10月27日に開業届けを出しまして、それからずっとフリーランスとして、WEBサイトや紙ものデザインのお手伝いをしています。
主なお仕事としては個人事業主様向けのブログカスタマイズや名刺・パンフレット等作成、
法人様とは、公式サイトのデザインもありますが、フリーランスになってからのご縁で、ECサイトサービスのデザインに関する案件に関わらせていただいています。
(楽天、Yahoo!ショッピング、amazon、カラーミー、Make Shop、Future Shopなどの既存ECサービスのサイトデザインや、商品画像・バナー作成、登録などのお手伝いをしたり、商品の梱包箱からパンフレット、展示会等のパネルやグッズ作成のお手伝いをさせていただいています)
主に関わったことのある商品ジャンルとしましては、輸入食品等が中心で、コーヒーカプセルや、ベビーフード、ワイン、化粧品等です。他にはキッチンツール等です。
この仕事をするようになったきっかけ
中学卒業後から始めた音楽活動において、自身のバンドを宣伝するために独学でWEBサイトを制作しました(中学時代からパソコン部)。それからキャラクター、フライヤーやグッズ制作にも興味を持ち始め、自己流で作り始めます。
25歳の時、バンドメンバーの渡米をきっかけに、前々から興味のあったWEBデザインの会社に就職したいと考え、実務未経験OKの金融系のWEBデザインの会社に就職しました。最初、それまでの私の独学レベルでは全く仕事にはならず、「あなた、本当にデザイナーなの?」と先輩に呆れられていたのですが(苦笑)「コーディングはまぁまぁ出来るのね〜、じゃあ、コーディングだけやってなさい!」と言われたり(苦笑)。
自分が思っていた以上にコーディングは面白かったのですが、でもやっぱりデザインもやりたくって、、とにかく学ぶことがとても楽しく毎日時間のある限り、外部の勉強会に参加するなどして動いていました。
グラフィック経験30年の大先輩と、WEBのコーディングに詳しい先輩方との両方を学べた事はとても恵まれた環境だったと思います。コーディングとデザインとそれぞれの課題(仕事)をいただいては、、、早くサイトデザインの案件を任せてもらえる様になりたいと、あの頃は本当に無我夢中でした。
自分がデザインしたサイトデザインを初めて形にさせてもらえた時は、滅多に人を褒めない厳しい大先輩にも「いいじゃない」と認めてもらえた時でもあり、とーーーってもとーーーっても嬉しかったのを覚えています。それが下記の「TU・NA・GU」という作品です。
考えれば、WEBデザインって、素材探しにかけている時間の方がいつも長くてですね・・・。こんなデザインにしよう!と思っても、それが実現可能な素材が見つからなかったりして「探すだけ」で1日も費やしてしまうことも・・。そこで「これは自分で作るしかない!」とイラストを描き、素材を作り出した時も自分にとって転機だったように思います。綺麗なイラストは描けないけれど、私なりのゆるいイラストを好きと言ってくれる人がいたので、今の新たな仕事が生まれました(笑)お客様が喜んでくれるのは嬉しいし、他に探しても同じものがないオリジナルのものを提供できることはもっと嬉しい。そう思う様になったのもこの頃です。
29歳の時、友人に誘われ、今現在のフリーランスに
フリーランスと言っても、初めから誘ってくれた友人と、友人から紹介された別の社長との2人に仕事を依頼してもらえる状態で、報酬もはじめから提示されており、委託業務のような働き方でした。
余談ですが、その誘ってくれた友人とは、バンド活動をしていた20歳の頃に別のライブで出会い仲良くなり、合同でライブイベントを開催したこともありました。そんな彼と6年越し?にSNSを通して再会し、久しぶりに一緒に「はりねずみほいほい」という名のラジオを収録し、、、(タイトルが面白い笑)そこで最近のお仕事の話になって「俺も依頼してみたいな!」と一度、仕事を任せてくれたことがキッカケです。その制作物を見てくれて「一緒に働こうぜ!(バンドやろうぜ!的な)」ってなりました。
それまで働いていた会社での仕事も好きで、色々なことを任せてもらえる様になり、少しだけ迷いましたが、チャレンジしてみたいな!という気持ちもあり、飛び込んでみました。
今後はライティングにも挑戦してみたいと思い、このブログを立ち上げました。
日記のような立ち位置のブログ歴は15年ですが、誰かの役に立つ記事として書いた経験はなく、今後はこの自身のブログで経験を積んでいきたいと考えています。
(と書きつつ、2022年9月1日現在、執筆活動が止まってしまっています、、下書きのような記事が多く、早く仕上げなければなりません、、)